太宰府天満宮から車で十分ほど、四王子山の中腹にある、高橋紹運公の墓です。
岩屋城址とセットで巡るのがおすすめです。
高橋紹運
高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。
紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。 Wikipediaより
様々なゲームにも登場し、強い武将として描かれることが多く、私の世代であれば信長の野望で立花道雪と共に最前線で活躍してもらった方も多いでしょう。
アクセス
岩屋城址の入口と道路を挟んで向かい側に入口があります。
岩屋城址へのアクセスはこちらをご覧ください。
高橋紹運公並びに勇士の墓
戦国の武将高橋紹運は、23歳で岩屋城主となり名称の誉れ高かった。天正14年(1586)北上した島津5万の軍と戦い、城兵763名と共に玉砕した。時に39歳であった。紹運以下勇士たちここ二の丸趾に眠る。
辞世歌 流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
太宰府市
岩屋城とは逆にこちらは下っていきます。
こちらも歩きにくい道にはなっていますが、数百メートル程度ですぐに到着します。
墓の手前に水城2.2kmの看板。
こちらから歩いて水城(続100名城 182番)に行けるようですが、覗いてみるとなかなか険しい道のりの様です。
足腰に自信のある方はチャレンジしてみてください。
墓所
入って左手、左奥、右手に石碑があります。
右手の石碑には『高橋紹雲歿?(?は読めず)』と一番右に書かれており、その左にも小さい文字で何か書かれていますが読めませんでした。
今回は誰とも会いませんでしたが、前回訪れたときは花が供えられており、二組ほどすれ違いました。
少しアクセスが悪いため、岩屋城もこちらも出会う人は山歩きの人がほとんどですが、どちらも戦国好きの人には是非訪れてほしいおすすめスポットです。
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