太宰府天満宮から車で十分ほど、四王子山の中腹にある、高橋紹運最期の地となった岩屋城跡を目指します。
岩屋城とは
岩屋城(いわやじょう)は筑前国御笠郡にあった日本の山城。天正14年(1586年)7月、九州制覇を目指す島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運との攻防戦、岩屋城の戦いで知られる。
苛烈かつ激戦であった攻城戦と言われている。 wikipediaより
アクセス
太宰府駅を右に見て信号を直進します。
300百メートルほど進むと、右カーブになった所の左側に赤い欄干の橋が見えてくるのでそちらを渡ります。
住宅街を抜け、山道に入ったら山頂を目指しガンガン突き進みます。
岩屋城は山頂の少し手前です。
22カーブの標識のところに少し広くなったところがあり、そこに車を停めることができます。
岩屋城跡の入口は車を停めた場所の向かい側にあります。
意外と車通りが多いので気を付けて渡りましょう。
岩屋城跡(本丸跡)
岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)宝満城の支城として、豊後大友氏の武将高橋鑑種(あきたね)によって築かれた。同12年彼は主家大友宗麟に叛き城を追われ、代わって吉弘鎮理(しげまさ、後の名称高橋紹運)が城主となった。紹運は天正14年(1586)九州制覇を目指す島津5万の大軍を迎え撃ち、激戦十余日。秀吉の援軍到着を待たず玉砕し落城した。 太宰府市
階段を上っていきます。
しばらく進むと突き当たるので、右に進みます。
またしばらく登ります。
かなり登りにくく、なにより引っ切り無しに虫が襲ってきます。
蜂などもいるので注意。
階段を上り切ると、石碑が見えてきます。
嗚呼壮烈 岩屋城址
誰がいつ立てて、誰の言葉が刻まれているのか、調べてみましたが確証は得られませんでした。
島津軍の5万の軍勢に763人で立ち向かい、降伏勧告もはねのけ徹底抗戦し玉砕したという、壮絶な戦いがここにあったことを物語る迫力のある石碑です。
岩屋城からの景色
太宰府、大野城、筑紫野あたりが一望できます。
ベンチもあり、晴れた日に来るととても気持ちがよいです。
虫さえ気にならなければ長時間ぼーっとできます。
岩屋城からの夜景(スマホで撮影したため微妙な画質)
隠れた夜景スポット。
昔は夜な夜な多くの走り屋がかっ飛ばしていましたが、現在はそのようなこともなく、車も1、2台しか停められないため、人がいないことが多いですが、かなり歩きにくく真っ暗なので注意が必要です。
懐中電灯やスマホのライトがあれば上っていくことも可能ですが、ライトに虫が寄ってきます。
それほど標高は高くなく、昼間は冬でもほとんど凍ることもないので、虫の少ない冬に来るのがお勧めです。
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